北村早樹子のなんちゃって紀行文 『西成センチメンタルジャーニー・後編』

北村早樹子

北村早樹子のなんちゃって紀行文
『西成センチメンタルジャーニー・後編』

北村早樹子

前編から続く

 西成の一泊千円の一畳ドヤに滞在し、昼間から既に喫茶店1軒、飲み屋3軒をはしごしたけれどまだ全然お財布はふくよかで余裕のよっちゃん、よく千べロと言いますが、下手したら1軒で千円も使わないのが西成。陽が落ちて涼しくなってきたのでわたしは一旦ドヤに戻ってカーディガンを羽織り、再び夜の西成へ繰り出す。道中、もう結構なアルコール量を摂取している飯田華子さんは景気よく腹ダイコを叩いていい具合に千鳥足。たのしい。飯田さんは気持ちよく酔っぱらっているときは腹ダイコを叩き、踊ったりもする。たのしい。そして可愛い。

 今度は新今宮駅の方へ出て、大通り沿いのなんでもない中華屋に入ることに。ピータン、餃子、そして瓶ビール。程よくどうでもいい感じのお店で、あまり日本語が通じなさそうなおばちゃん店員はずっとスマホをいじっているし、適当で楽チンで良いお店。昨日のプラスワンでの母親教室のイベントのはなしから、自然と高校時代の母親との思い出話になって、ふわっとわたしは15年前に、たった一日だけ母親としたデートの日を飯田さんにしゃべりだした。わたしは当時、保健室登校から保健の先生の紹介で母娘ともども心療内科に一時的に通わせられていて(何度か行ってばっくれてしまった)、この心療内科では、わたしと母親が別々に診察室に入ってお話しをするのやけど、そこできっと母親はその先生に提案されたんであろう。母親側から、日曜日ふたりでおでかけしようと言われた。

 本来はわたしの母親は仕事も忙しいし、私生活も、家族以外にデートをするお相手がいる人なので、休日も基本あんまり家にはいない。なのでわたしのために一日をあけてくれたということがもう結構すごいこと。でもそれはわたしが当時思春期メンヘラのような状態で、心療内科の先生に言われたから母親はそのようなわたしをデートに誘うなんてことしていることもわかっていたので、なんか複雑な気持ちで、でも母親を独り占めできることはちょっとうれしかったような記憶がぼんやりとある。

 デートメニューはどちらが提案したのやったか忘れたけど、当時心斎橋のギャラリーに来ていた、寺山修司記念館の出張展示のようなやつを見に行って、そのあと映画館で一緒に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見た。っていうなんでもないつまらない思い出話を飯田さんにしていたら、飯田さんがハッと、わたしも母親と一緒に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』見に行った! と言いだして、わたし生涯で母親とふたりっきりで見た映画ってこれだけなので、そんな映画を時を同じくして飯田さんもお母様と見てらしたなんて! と、なんかうれしい符号に驚きつつ、そのときの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見ての母親の感想は違和感満載すぎて困った話などをした。わたしの母親は、客電が点くや否や「いや〜暗かったなあ、画面に酔ったし寝てしもたわ〜。見たかったやつ、これとちゃうかったわ。バレエダンサーの男の子の話やと思ってら全然違うかった!」とぼやき、どうやら母親が見たかったのは、当時同じくらいにやっていた『リトルダンサー』という映画やったらしい。残念でした。

 適当な中華屋なので長くだらだら飲むにはもってこいな感じのお店なのやけど、中国人観光客の集団が突然押し寄せてきて、大音量の中国語が店内に飛び交い、ちょっとおしゃべりが困難になってきたので、お会計。ふたりあわせて3桁やった、すごい。

 飯田さんとふらふら西成を歩く。まだ夜9時すぎなのに、良い感じの飲み屋はだいたいもう閉まっている。この町の夜は早い。飲み屋は朝からやってるから無職のおっさんは朝から飲んでるし、あいりんに集う労働者のみなさんは早朝5時とかからおつとめだし、空き缶拾いのおっさんたちも朝のゴミ収集車が来る前の時間帯が勝負。だからもうこの時間にはおやすみなのでしょう。わたしたちは飲み屋を探すのはやめて、スーパー玉出で買い物して、一畳のドヤで部屋飲みすることに。玉出へ向かう途中、飯田さんがわたしの「賛母歌」という曲をふいにくちづさんでくれてうれしはずかし。この「賛母歌」という曲は、わたしが大阪で結婚していた時代に、とにかく毎日ごはんの献立を考えるのが苦行で、スーパー玉出の店内でノイローゼみたいになっていたときの歌。今となってはなつかしいおもひで。飯田さんは玉出に入るのがはじめてらしく、酔っぱらってるのも手伝ってワーイと興奮してくれている模様。一通り、野菜やお肉やお魚コーナーをパトロールして、あれ、そんなに安くないねってはなしになる。正直、足立区の物価になれている我らにとって、玉出のベーシックな価格設定はそんなに安くない。お酒の値段もたぶん普通。ジュースなども然り。ということは物価の安さはやはし足立区が最強地区!

 ライトアップされたお肉やお魚を眺めてわたしはひとりなつかしさに浸る。玉出のお肉やお魚は、すごく特殊な照明を当てられているので店内では綺麗な色に見えても、帰って袋を開けると信じられない紫色やったりするのである。でも、玉出やもんなあって感じでたぶん誰も怒らない。それどころか、わたしはちょっと玉出の電気代が心配になったりする。だって玉出は店内も特殊照明ぎんぎんやけど、外側も常軌を逸した電飾を年中惜しみなく点灯していて、デフォルトで花火が打ち上がっている。そんなスーパーありますか!?

 もうずっと昼から食い倒れてるのでおなかは全然空いてないけど、一応玉出のお惣菜、伝説のからあげは買ってみようとなって購入。1パック148円。これが高校時代に男子たちが買い食いしてみんなで腹痛を訴えだした(前編参照)例のあれである。その他お菓子やビールやジュースを買って、玉出の袋を提げてふたりでドヤに帰宅。

 飯田さんの部屋で一畳部屋飲みスタート。狭くないことはないけど、でも女子ふたりならわりと問題なく寛げる。距離は近いけど。飯田さんはお布団の上で体操なんかをしだして、なんかわたしも真似っこして体操したりして、実は何の役にも立たないけど我らふたりとも無駄に身体は柔らかいので、周囲にびびられる話なんかをしたりして、変な体勢のまま、お互いの生き様や精神性、生態などを分析していたら、飯田さんは某Mさん、わたしは某Tさんにすごく似てるやん! と発覚して、うれしいようなつらいような、人生の行く末が見えてしまった気がして身震いした。玉出のからあげは、思いの外おいしかった。ケミカル調味料つけて揚げてますって感じの、如何にもなお味でおいしい。腹痛も特に起きなかった。まあ、高校時代はもう15年も前のおはなしなので、その間に、玉出のお惣菜と言えども改良されたんでしょう。深夜1時くらいまで語らって、わたしも自分のブタ箱に帰って就寝。よく食べた一日やった。

 翌朝は7時に待ち合わせて、朝から西成の町へ繰り出した。そう、お目当てはもちろんドロボー市! 西成の朝の道端はおっさんたちのフリーマーケット会場になっていて、売られているは盗んできたようなものばかりなのでドロボー市と言われている。本当に靴がかたっぽだけ売られていたり、そのへんの自転車やバイクから外してきたような部品とか、古い週刊誌とかエロ本とか、汚いぬいぐるみとか傘とか、あとたまにギターとかが並んでいる。と、結構賑わっていることを想像して、朝もはよから飯田さんと乗り込んでみたのやけど、ちょっと期待が大きすぎたのか、出店数少な目でどこの道もあんまり盛り上がっていなかった。残念。

 ドロボー市はあんまりだったのやけど、道中、古本屋さんを発見して入ってみると、ここが結構良い品揃え。ちゃんとした文芸もんからゲス雑誌、漫画、エロ本、各種取り揃えてて、しかもこんな朝の8時とかにも関わらず開店してて、お客(この町のおっさんたち)も結構いらっしゃる感じ。「ここは西成のインテリたちが集う店でしょうな!」と飯田さんと言い合う。たぶんやけど、ホームレスのおっさんたちは意外と読書家やったりする。まあ暇なのも大きいやろうけど、大阪の図書館はだいたいホームレスのたまり場になっていたりした。こんなに朝はやくから古本屋も開いてるし、いよいよこの町に住めそうな気がしてくる。

 せっかくやから喫茶店のモーニングを食べようとなり、三角公園のすぐ側にあった古くさい喫茶店に、「モーニングセット290円」て看板が出ていたので入ってみた。扉をからんころんと開けるやいなや、うっと鼻腔をつく香ばしいかほり、の正体はコーヒーの香りなんかではもちろんなくって、店内、糞尿汗垢のにおいが充満している! わたしはなんかうれしくなってしまった。一般的な女子なら、やめとこうかって退店するのやろうけど、飯田さんもこういったアトラクションは楽しめるイカした女子なので、ニヤニヤしながらふたりで席につく。店内、においのわりにはそんなに不潔なわけでもなく、普通に古くさい町の喫茶店と言った感じ。ではこのにおいはいずこから? と見回すと、我ら以外のお客さんはほぼテント暮らしと思しきおっさんたちであり、このにおいはおっさんたちの体臭なのである。そう、この喫茶店はおっさんたちが朝ごはんを食べにくる憩いの場らしい。カウンターでおっさんたちが新聞を読みながら談笑している。心温まる風景である。

 モーニングセットは、コーヒーとトーストとゆで卵というスタンダードな内容。コーヒーも、この手にお店にしてはちゃんとしてて、たぶん淹れたてでおいしかった。隣のテーブルのおっさんは吸ってるタバコがひと口めからもうシケモクだった。次第にこのにおいにも慣れて違和感なくなる。おっさんたちとともに朝食を終えて、店を出、もうひとまわりお散歩した。

 三角公園と四角公園の間ぐらいに、フェンスで仕切られた謎の一角があって、フェンスの中は赤やピンクのタチアオイがお花畑のようにファンシーに可愛く咲いている。そしてそのタチアオイ畑のまわりにぎっしり、おっさんたちが犇めいていて、何をするでもなくただ立ったり座ったりしている。別に隣のおっさんとしゃべっているわけでもない。このおっさんたちはなにをしてるのやろう。暇なんかな。なんでもない平和な光景ではあるのやけど、なんともいえない強烈な不思議空間やった。

 それから新今宮駅の方に出て、どうせなら通天閣へ行こうとなり、ジャンジャン横丁を抜けて通天閣へ到着。ここの真下には喫茶ドレミというとても可愛くて薄汚いお気に入りの喫茶店があるのやけど、さっきモーニング食べたばかりなので今日は自粛。通天閣の入口へ。通天閣の入口、黒服のガタイのいい風俗の呼び込みみたいなおっさんが立っていてコチラですーと迎えてくれ、地下の入口に下りる階段が、通天閣へようこそとか書いてるのやけど壁の色使いとかセンスがなんかほんとにチープな風俗の無料案内所みたいな感じで、予想外でワクワク。入場料700円かーまあまあ高いな〜とか思いつつ、券を買って、エレベーターに昇っていざ展望台へ。

 わたしはすぐ側の高校に通っていたので、通天閣は学校の廊下からも見えるぐらいやったのやけど、実は登ってみたのは人生初。展望台にはお決まりのビリケンさんがいて、あとは大阪の景色が見下ろせるぐらいの感じで、わたし的にはそんなにぐっとくるポイントもなかった。これで700円か〜ええ商売してはるわ〜と思いながら、すごすごとエレベーターに乗って下へ降りる。しかし、これで終わりかと思うと、本当の通天閣はここからやった! エレベーターが下っている途中から、謎の小芝居がかったアナウンスがはじまり、さーてタイムスリップです! みたいなおねえさんの声とともにチーンとエレベーターが開くと、そこからルナパークジオラマがはじまったのであーる。

 ルナパークとは、100年前にこの通天閣を含む新世界界隈に広がっていた一大エンターテインメント施設。通天閣はパリのエッフェル塔と凱旋門を合体して作った建物だということは、なんとなく知ってはいたけれど、当時の写真を見て行くと、ルナパークはとっても夢溢れるモダーンな娯楽施設で、塔の放射状にケーブルカーが走っていて、メリーゴーランドなんかもあって遊園地のようにもなっていて、芝居小屋や映画館や音楽堂、果ては美人館という、美人を展示してあるような施設まで入っていたそうな! こんな楽しい施設が100年前に作られていたなんて! わたしは基本的に観光地に興味が全然湧かない性分で、東京タワーも登ったことがないし、スカイツリーなんかもどうでもいいし、だから通天閣も今まで一切興味なかったのやけど、このルナパークジオラマを見て一気に大好きになった。なんてロマンチックな場所なんやろうか。みんなもっと通天閣に行くべきである! そしてその歴史を知って感動し、通天閣を大事に愛でるべきである! 飯田さんとふたり、ルナパークにいたく感銘を受けて通天閣を出た。

 そういえばこの辺に、首吊り廃墟があったはず! と、飯田さんを誘って行ってみることにした。そうです、以前このメルマガの読書感想文で取り上げた、ギンティ小林さんの『新耳袋殴り込み〜最恐伝説』に出て来る首吊り廃墟が、このすぐ側にあるんである! 幾人もが首吊り遺体で発見され、そしてその後も、天井から白いスニーカーをいくつもぶら下げる謎の儀式が秘めやかに行われていたという、知る人ぞ知るカルト物件! 情報収集してこの辺という場所はわかっていたはずなのに、あれ、それらしき廃墟が見当たらない。例の場所から見下ろしても見えず。裏側の怪しい路地の奥からまわってみようとしたけど、入れず。無念!
 諦めてジャンジャン横丁の方へ飲みに行くことに。せっかくやから串カツでも食べようと、まだ午前中やけど開いている適当な串カツ屋に入る。座ると、カウンター内側に、まだペーペーと思しきバイト兄ちゃんと、ベテランと思しきヤンキー兄ちゃんのふたりがいて、このベテランヤンキー兄ちゃん、Tシャツの首もとからうなじに向かってびっしりモンモンが入っていて、もうほんとに浪速のヤンキー臭がすごい。そしてペーペー兄ちゃんをオラオラといびり倒している。串カツを何本かと、飯田さんはおビール、わたしはウーロン茶で乾杯。実はこれがふたりでの西成旅での最後の晩餐(午前中ですが)なのである。別にまずいわけではないけど、いびり、いびられている浪速のヤンキードラマをかぶりつきで見なくてはいけないので、ちょっと微妙な店に入ってしまった感が否めないお店やったけど、まあそういう残念感もええやんって気分になるのもこの町のせいかな。

 あー食った食った。本当に食い倒れツアーやった。この飯田さんと過ごした二泊三日。ひとりではなかなか勇気が出なくて踏み込めない場所をたくさん堪能できた。この町をこんなに一緒に楽しめる女友達がいるなんて! 思い返せば、わたしは女友達とザ・旅行に行ったことがこの31年間の人生でなかった。そもそも旅行が好きではないし、女友達もいなかった。それがこの歳になって、こんなに楽しく女友達と旅行が出来るなんて。センチメンタルジャーニー出来たのも、飯田さんが一緒に巡ってくれたからで、ひとりぼっちではなかなか行く気が湧かない。でもセンチメンタルジャーニーしてみて、忘れかけていたどんよりした青春時代なんかを掘り返して話していたら、どれもこれもそんなに悪い思い出ではなく、そこそこ美しい、かけがえのない日々やったのかもしれないと思えてきた。過去はだいたい美しく見える。だからといって戻りたいとは全く思わない。わたしは今が人生でいちばん楽しくて明るい。

 東京に帰ってきて、たまたま古本屋で西成・釜ヶ崎の本を見つけて購入し、読んでいたら、まさにあのタチアオイ畑の光景が写真とともに紹介されていて、どうやらあそこはおっさんたちの立ちションスペースと化してしまって問題になっていると書かれてあった。そう! あのおっさんたちは立ったり座ったりして糞尿を垂れていたのである! おっさんたちの豊饒な糞尿を肥やしに育ったタチアオイはとても元気にお空に向かってすくすく咲いていて、朝日の射す五月の釜ヶ崎の景色は、なんだか全体が靄がかってドリーミーに再生され、しかしあの靄の正体は小便の湯気だったような気もしないでもない。あの美しさと可笑しさと不思議、心あたたまる景色をみんなに見せたい。

(2016年5月/初出:北村早樹子メルマガ「そんなに不幸が嫌かよ!」)

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