エッセイ『誕生日抵抗日』

北村早樹子

エッセイ『誕生日抵抗日』

北村早樹子

 特に公表はしていないけれど、歌詞の中で「山羊座のO型」など歌ってしまっているし、1985年生まれというのはプロフィールなどにも書いてるのでちょっと考えればなんとなくすぐわかることなのですが、今月はお誕生日がありました。フェイスブックなどでもあえてお誕生日を消していたり、「本日〇〇歳になりました!」的なつぶやきは絶対にしないと決めていて、それはなぜかというと、「お誕生日おめでとう」と四方八方から言われることが恐怖だからです。お誕生日をめでたいことにしたやつ誰やねん! っと呪いたいぐらいわたしは自分のお誕生日が嫌いで、一年で一番つらい日。何故なら無根拠に「おめでたい」を背負わされてしまうから。年老いて行くことを祝うってなんて皮肉な風潮なのでしょうか! とかって考えてしまうのはわたしが卑屈根性の鬼やからなのかもしれません。

 なんで自分はこんなにお誕生日が嫌いなのやろうと、うじうじ考えてみたところ、わたしは胸を張って「お母さん、産んでくれてありがとう」とはいえない、思えないからやなあと思い至りました。結婚式の新婦の手紙朗読のコーナーなどの締めの言葉として使われがちなこのセリフ。ここで母親は涙腺決壊、場内ももらい泣きとかするやつですね。あ〜虫酸! それよりずっと前にも、小学校で母の日にお母さんに手紙を書きましょうって時間に、サンプルとして用いられる結びの言葉がこれやったような記憶があります。なんか気持ちの悪い言葉やなあとわたしは子ども心に思っていました。

 これは飯田華子さんとやっている『母親教室』というイベントの中でも話し合ったことがあるのですが、育ててくれてありがとうという気持ちはあるけど、産んでくれてありがとうは変じゃない? という問題です。こちら側は別に産まれたいと所望した覚えはありませんし、だいたいは男女がセックスという欲望のぶつけ合いでおちんちんをおまたに出し入れして中出しをした結果、出来ちゃったものが子どもではないかと思うのです。アヘアへ、アンアン言うてた結末を、子ども側が気を遣って何をそんな美しく言わなあかんねんって思ってしまうのです。

 とはいえ、妊娠・出産という任務はそら、めっちゃ過酷なことなんであろうというのは想像出来ます。でも、そのおよそ十月十日の苦しみの何十倍もの年月を、子どもは「生きる」ことになるのです。その決定権は100%親側にあって、子どもは意志が発生した時にはもう産まれ堕ちてしまっているのでどうにも取り返しがつきません。というと、あなたは産まれてきたことを後悔してるの? と言われてしまうかもしれませんが、正直、長らく後悔している時期がありました。今となってやっと、30歳を超えたあたりからやっと、生きることも悪くないかもって思えるようになったのですが、10代20代はずっとわりと死にたい気持ちと隣り合わせな感じで暮らしていました。

 これは広義の意味では立派な心の病気かもしれません。だけど、わたしは別に直接的に親に「よくも産みやがって!」とか「死にたいんですけどー」とか言ったことはありません。これを声高らかに言ってしまう人が近親にいたのでわたしは言えない立場でした。だけど、直接的に言わない方がたぶん質が悪くて、だって、ニコニコしてる子どもが実は死にたいってずっと思ってるって、親の立場からしても地獄ではないですか!? まあ、わたしの親は鈍感で頭の中にお花が咲いてるタイプの人やったので(特に母親は)、娘の中の闇になんか全く興味がなく気づいてなかったと思います。だけど親子間の亀裂は今となっては、ニコニコしてクールに振舞っていたわたしの方が根深くて、直接的にぶつかり合っていた人の方が仲良く交流しています。そんなもんです。

 このメルマガでも書いたことはあると思いますし、これまでに歌や小説やエッセイなど色んなところに散りばめているお話ですが、わたしは現在、家族と完全に没交渉状態にあります。ものすごーく込み入った30年間分ほどの理由があり、わたしの方から遮断してしまった現状なのですが、実は今年のお誕生日にちょっとした展開がありました。小さい頃は普通にそれなりに、お誕生日ケーキを買ってもらっていたこともあるし、お誕生日プレゼントをもらっていた記憶もありますが、当たり前ですが大きくなるにつれてそういう子供だましな行事は淘汰されてゆきます。最後にお祝いしてもらったのはいつやったかもう忘れてしまいましたが少なくとも忘れてしまうぐらい昔話。それが、突然急に、今年になって、母親からプレゼントが届いたのです、ゆうパックで。

 帰宅すると不在連絡票が入っており、再配達を申し込んで配達員が扉を叩きました。このゆうパックの配達員、いつもおなじおっさんで恐らくわたしの住んでいる地区担当の人。毎回相当気色悪くて、扉の隙間からわたしの部屋の中をじとーっと舐めまわすように見詰めながら、わざわざ大きい声で送り主の住所や名前やゆうパックの中身を読み上げる変なプレイをけしかけてくるのですが、「大阪府〇〇市の北村〇子さん、あ、ご家族か親戚かな? カレンダーのお届けですね」「あ、北村さんはいつもハンコじゃなくてサインでしたね〜」とか言われて、この時点でもうわたしは不快指数100%、お誕生日なのに最悪の気持ちでした。ゆうパック配達員の変態プレイのせいで聞き流してしまいましたが、ん? えっカレンダー? なんで? と思いつつサインをして受け取り、こたつのテーブルに置いて、は〜っとため息をついてから、意を決して開けました。

 あーやっぱり……。出てきたものは、皇室カレンダーでした。

 これには前振りがありまして、遡ること5年ぐらい前。わたしは長年ずーっと良い娘を演じて母親の太鼓持ちに徹していて、このときもその芝居を辛うじて続けており、糸が切れてしまう前、没交渉に陥る前でした。母親は東京に用事があって春休みに上京してきていて、うちへ泊りに来ておりました。あまり詳細は書けませんが当時わけがあって母親は仕事でもなく遊びでもなく、やんごとなき事情で度々上京しており、そしてその滞在は身から出た錆とはいえど大変しんどい内容のようでした。そんな母親が「ちょっとは観光したいわ……」とこぼすので、どこ行きたい? と訊ねると「靖国神社行きたい!」と言うのです。

 わたしの母親は、別になんの思想もない癖にちょっと時々ミーハー右翼を気取ることがあり、それも、右翼=三島=文学少女=インテリ♡ みたいな、それぐらいのチャラい感覚です。で、当時、わたしは母親と一緒に靖国神社に行って参拝し、そしたら境内で巫女さんが「皇室カレンダー」を売っていて、母親はうれしそうに「素敵やん〜お揃いで買おう♡」と言ってきて、そんなこんなで一緒に買った思い出がありました。まだ、表向きわたしが母親と仲良しやった頃のお話です。

 たぶん、数少ないわたしと母親の思い出。「皇室カレンダーの思い出が蘇れば、早樹子はまた仲良しやった頃に戻ってくれるかもしれないわ!」と安直に考えてのこのプレゼントプレイなのでしょう。しかし、頑固一徹北村早樹子が鉄の意志で、絶縁覚悟で遮断しておるのです。そんな簡単に、千円くらいの皇室カレンダー如きで易々と買収されると思ったか! 舐めるなよ〜!

 他人の気持ちはわからへんもんや、と日々思い悩んでいるわたしですが、肉親でもこんなにわからへんものなんか、と思うと絶望的な気持ちになります。まあ、わたしの母親が特別トンチンカンなだけかもしれませんが。

 話がやや逸れましたが、そんなこんなで今年も最悪な気持ちのお誕生日でした。あ、とはいえ、唯一のお友達である飯田華子さんには会いに行ったことを告白しておきます。わたしのお誕生日を把握していて、そしてわたしが如何にお誕生日が嫌いかも把握してくれていて、それでも会おうと言ってくれる、本当に唯一のお友達です。32歳、生まれてきたことを手放しでよろこべるところまでまだわたしのお誕生日嫌い病は回復していませんが、飯田さんみたいな最高のお友達が出来たことは本当によかったです。それだけでも32年生きてきた価値がありました。

 あ、断り遅れましたが、タイトルの「誕生日抵抗日」というのはworld’s end girlfriendという音楽家の曲名から拝借しました。学生時代とてもよく聴いていた音楽家です。歌ものではなくインストの音楽なのですが、曲名の言葉のセンスもいつも最高に素晴らしく、この「誕生日抵抗日」という曲名にいたく感動して、わたしのための曲や! と毎年お誕生日付近になると思い出します。ちなみに肝心のCD自体は、離婚したときに置いてきてしまいました。離婚あるあるですね。

 ということで、皇室カレンダーの1月のお写真は、「新春を迎えられた天皇ご一家」。皇太子と雅子さまの間だけなんか間があいて写っているのが気になります。

 そんなこんなで今年もしんどいしんどいお誕生日でした。うっかりお誕生日を告白してしまいましたが(日にちまでは告白してませんが)、如何にわたしがお誕生日が嫌いかもわかったと思うので、みなさん間違えてもわたしに「お誕生日おめでとう」なんて連絡しないでくださいね☆ お頼みしましたよ!

(2017年1月/初出:北村早樹子メルマガ「そんなに不幸が嫌かよ!」)

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