エッセイ『信じてあげない』

北村早樹子

エッセイ『信じてあげない』

北村早樹子

 わたしは神様を持ったことがなく、愛も、夢も、人も、基本的に何も信じていない、心の貧しい無宗教の女です。なんだかこのところ世間的にも宗教や信仰がこうばしく報道されていたり、そんなタイミングでスコセッシの『沈黙』を見てしまったり、読んでた本も偶然信仰にまつわるお話やったりしたので、ちょっとしばらくそういった神様問題を個人的に考えていました。

 信仰というのは、中には自分の意志で目覚めて入信する人もおられますが、代々親から伝わって染みついて物心ついたときから信仰している、ということが多い気がします。わたしの生まれた家は普通の超超ノーマルな仏教の浄土真宗で、一応家には家庭用サイズの仏壇があって、ミカンとかリンゴとかお仏飯が飾ってあって、「この中にご先祖様がおるんやで〜」とおばあちゃんに小さい頃から教わって、なんかよくわからんけど、一応手を合わせてチーンをやる習慣をつけさせられましたが、小学生くらいまでは何の思想も持ってなかったのでやっていましたが、思春期あたりから密やかに抵抗感を覚え、やらなくなりました。

 おばあちゃんはいつも仏さんにすごく長い時間手を合わせてお祈りしていました。ブツブツと小声でお祈りしていたので内容も覚えています。家族みんなが仲良く元気であることがメインでしたが、そのときそのときの、早樹子が高校受かりますように、とか、妹がコンクールうまくいきますように、とか、時事的な孫の成功を仏さんに祈ってくれていたようでした。わたしも一緒に祈るように促された記憶がありますが、うーんって一応隣に正座して、手を合わせるのは合わせるけれど、頭の中は真っ白でなーんにも考えていませんでした。仏さんが何をしてくれるわけでもないやろ。受験に受かるも落ちるもわたしの当日の出来次第やろ。という冷めた心の中学生でした。しかし妹はすごくちゃんとおばあちゃんの教え通り、信仰心を持って丁寧に仏さんと接していました。言われなくても自分から仏さんに祈っていました。何をしているのかわからないけど仏さんの部屋から長時間出てこなかったりもしました。信心深いええ子やなあと思っていました。

 やがて、あまりこんなところには書けないような家庭内事件がたくさん勃発し、わたしの家族は崩壊しました。わたしは当時もう実家を出ていたので、蚊帳の外な感じでしたが、一応時々様子を見に行ったりしていました。家族は崩壊し、全員が全員を疑い、憎しみ、そしてでもどこかで愛していて、そして何より全員が愛して欲しがっている、そのパワーバランスがめっちゃめちゃになっている状態で、何もかもが噛み合っていませんでした。
 元々信心深かったおばあちゃんは、一心不乱に写経をしていました。家族が昔みたいに仲良くなれるように祈って、そしてみんなが健康に健全に暮らせることを祈って。妹は、毎日山を登って、山の中腹あたりにあるお墓に参りに行っていました。わたしも何度かお墓参りで行ったことがありますが、結構ハードで淋しい山道を登らないといけないので、わたしには妹の行動はお百度参りのように見えました。本人はそんな知識もなく、ただ、この最低な現状をご先祖様の前で毎日祈ることで心を保とうとしていたのだと思われます。

 結果から発表いたしますと、お百度参りの効果はありませんでした。おばあちゃんの写経の成果も見られず、詳細は書けませんが、我が家は鮮やかに崩壊しました。
 おじいちゃんが亡くなりました。おじいちゃんは家族の中で唯一真っ当な神経を持っていた人だったのですが、多勢に負け最終的には頭がおかしくなったという扱いで病院にぶち込まれ、ろくに家族に見舞われもせずに亡くなりました。一度だけ、わたしはこっそりおじいちゃんの病院にお見舞いに行ったのですが、切れ切れの意識の中で、もうわたしのことを妹だと思ってしまっているおじいちゃんはなぜか「ごめんな、〇〇ちゃん(妹の名前)ごめんな」と力ない声を振り絞り何度も謝ってきました。わたしは居たたまれませんでした。

 おじいちゃんのお葬式は密葬でした。おばあちゃんと、父と母、それから父の弟とわたしの5人。妹はいませんでした。というか、おじいちゃんが亡くなったことは妹にはその後半年以上秘密でした。秘密にしろと親に言われていました。家にお坊さんが来て、長いお経をあげるのですが、その間、母はずっと携帯電話を気にして、はよ終われよ〜という苛々した顔を露骨に出していました。妹にバレてはいけなかったからです。その後、焼き場に移動するときも、家族で喪服を着てうろうろしていることがご近所に知れたらまずいということで、すごくこそこそとタクシーに乗り込んで移動しました。おじいちゃんが亡くなったことは何故かご近所にも内緒で、親戚にもしばらくは内緒でした。

 わたしのおじいちゃんは新聞記者を定年まで勤めあげて、大阪の片田舎とはいえど家も建て、家族を養い、司馬遼太郎と盆栽とプロレスが好きな、寡黙だけど立派なおじいちゃんでした。そんなおじいちゃんだったのに、なんで最期にこんな目に遭ってしまわなければいけないのか、わたしは家族が許せませんでした。おじいちゃんは盆栽の中でもサツキというお花を育てるのが趣味で、サツキ会というおじいさん同士の集まりを催していて、昔は月に1回ぐらいサツキ会の友達が集まってきていました。だからお友達も多かったと思います。なのに、そんなお友達にも当然知らされることはありませんでした。

 お葬式は死んだ人が主役やろ! って「マイハッピーお葬式」というわたしの歌は、あれはわたし自身の歌でもあるけれど、おじいちゃんの悲しいお葬式に心底腹が立ったのでその気持ちも入っています。生きているもののエゴで、死んだのに主役にしてもらえない場合もあることが納得出来なかったと同時に、なんか絶望的だなあと思いました。あんなに仏さんに日々祈り、写経をしたりお百度参りまでしていた人たちが、身近な人が亡くなったのにこの有様でええんかよ! とたいへん腹が立ちました。自分に都合のいい希望だけを神様や仏様に祈るというのはムシがよすぎる、醜い行為だなあと思いました。

 身近な信心深い人が悉くこんな調子だったのと、祈れども祈れども全く良い方向に向かわない家族のぐちゃぐちゃを思うと、やっぱりわたしは目に見えない神様や仏様が救ってくれるという発想は理解出来ません。誰がなにしてくれるというのや?! という気持ちです。だからといって、信仰している方々を否定する気もなくって、人それぞれ、好きなように信じていたらいいと思います。ただ、信じるものは救われる! とか、信じることは素晴らしい! という世界観を押し付けてくださるなよ、と思います。これは神様についてだけではなく、愛についても、夢についてもですし、いちばん嫌いなのは「わたしを(ぼくを)信じてよ」的なやつです。人間は基本、私利私欲のために動く生き物だと思っているので、そんなしょうもない言葉で騙したり騙されたり傷つけたり傷ついたりするのって、アホなのかな〜と思います。

 わたしは結構親しくなっても心の底から相手を信用するということはないです。今この瞬間超仲良しでも1分後には手のひら返されたりするかもって常々思っています。それはわたし自身がたぶんそういうことをやる人間だからです。めんどくさい性格ですね。だから深い付き合いを出来る人がほぼいませんが、それでええやんとも思っちゃっています。

 なんでもすぐ信じちゃうピュアな人って、年齢を問わずいらっしゃりますが、幸せなお人やなあとわたしは冷笑的になってしまいます。きっとそういう人の方が需要があって、誰からも愛されるのでありましょう。だけど、断じてわたしは信じてあげません。

 今年わたしは本厄で、周りの諸先輩方から厄払い行った方がいいよ! とアドバイスいただくのですが、それも、行ったら負けな気がなんかしていて、まだ行っていません。そもそも信じてないこんな人間が、厄年やからってお祓いに行ったら逆にバチ当たるんちゃうかな? とかいうのは考えすぎかな? 一応厄年というものにはちょっとびびっておりますが、きっと厄払いには行かないことでしょう。 神様仏様天使様、ごめんなさいね、どれだけみなさんが偉大なお方か知りませんが、残念ながらわたしは信じてあげません。愛も夢も希望も、そしてあなたのことも、もちろん信じてあげません。だからわたしのことも信じないでくださいね☆ あっそもそも誰も信じていないかしらね。

(2017年2月/初出:北村早樹子メルマガ「そんなに不幸が嫌かよ!」)

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