北村早樹子のなんちゃって紀行文
『西成センチメンタルジャーニー・前編』
 駅を降り立つやいなや、こうばしい糞尿の匂いにざぶんと飲み込まれる。そこいらじゅうでおっさんたちが暇そうにしている。家財一式を積んだリヤカーにはだいたい汚い犬が寄り添っていて、おっさんは自分が食うことも危ういやろうに、よく犬まで養育出来るもんやな~なんて思ったりもする。電信柱に向かって、「○○キック、××パンチ」などとひとりで叫びながら技を繰り出しているおっさん。あー大阪やなー、帰ってきたなあと思う。
 わたしは大阪生まれ大阪育ちやけれど、大阪があまり好きではなく、逃げるように東京へ出てもう7年が過ぎた。実家も大阪にあるにはあるのやけど、ちょっと色々と問題があって帰りたくないので、大阪でライブがある際はだいたい西成に泊まるようにしている。実家は大阪府のてっぺんの方なのでここ西成とは遠いのやけど、通っていた高校がこの新今宮駅のすぐ側にあったので、高校時代はこの辺で過ごしていた。高校時代のわたしは、もっとも暗黒期やったので、しんどい思い出ばっかりやけど、でもあの暗黒期をこの町で過ごせたことは唯一の救いやったかもしれないなあとか思ったりもする。それは、家もなく職もないおっさんたちをなにかしら見下して自分を安心させているんでしょう、と言われると、完全に否定はできないけれど、ああこんな自分でも生きて行ける気がするわ~と思わせてくれるのがこの町の魅力であることはたぶん間違いなく、それはきっとわたし以外の多くの人の救いにもなっていると確信する。
 一泊千円一畳間。お布団を敷いたらそれで部屋が埋まる狭さ。だけど隣同士の壁はわりとしっかりしてて隣室の寝息が漏れて来たりすることもない。西成には、このようなドヤと呼ばれる簡易宿泊施設がたくさんあって、昨今外人バックパッカーのような人も宿泊しているけれど、もうずっとここに暮らしている、住居にしている人たちもたくさんおられる。バックパッカー専用のものと、住居専用のものにぱっくりわかれているというような噂も聞いていたけれど、わたしが泊ったドヤは両方がいらっしゃった。
 バックパッカーを除いた日本人と思しき方々はだいたいここに住んでらっしゃる方と思って間違いなさそう。ドヤ暮らしといってパッと浮かぶのはなんとなくおっさんだけど、実際このドヤに暮らしているのは意外と若めの30代ぐらいと男性とか、あと女性もいる。わたしの斜め向かいの部屋には、たぶんわたしよりちょっとだけ年上かなっていうくらいのおねえさんが暮らしていて、洗面所で会ったりすると感じよく挨拶してくれて、でもそれ以上に立ち入った会話はしない距離感。おねえさんは綺麗好きなのか毎日自分で非常階段のところにお布団を干しているみたいやった。
 わたしの部屋は6階で、扉のすぐ前に共同の流し台があって、学校とかの手洗い場を古くした感じの、コンクリートのシンクに水道がついてる広めの流し台。その横にはすんごく古いタイプのあずき色に変色したガスコンロが据え付けてあるけど、使ってる人を一度もみなかったのでまだ使えるものなのかは不明。でもおねえさんは流しでマイ食器を洗っていたので、もしかしたらお料理していたのかもしれない。その流しのすぐ横が非常階段になっていて、外に出られるのやけどこの扉は窓ガラス部分が割られたのかもう1ミリもガラス部分が残っていなく完全にぶち抜かれててあまり扉の役目を果たしていない。ここからの眺めが意外と素敵で、西成の町を一望出来るし、夜は空もよく見える。歯磨きをしながらわたしはだいたい外を見ていた。
 今回はひとりで泊っているのは最初の2泊だけで、そこからは盟友・飯田華子さんがやってきて一緒に宿泊する。大阪ロフトプラスワンウエストで、一緒にやっている企画「母親教室」の大阪出張編をやって、わたしもそのイベントの前後にツアーを組んでて、飯田さんもご自分のライブツアーがあるのでうまい具合に同時期に大阪に宿泊することになり、一緒に西成で遊びたいねって夢がこの度実現した。この町は、年頃の女子にはどちらかというと嫌われる町だし、こんな風呂トイレ共同の一畳の豚箱に好き好んで泊まりたがる友達なんて出来ないだろうと思っていたけど、飯田さんとはその辺の趣味もびっくりするぐらいぴったり合致。一人ではなかなかやっぱりちょっと怖くて入れないお店とかも、ふたりやったら怖いもんなしやぜって気持ちで、わたしはこの西成二人旅をとても楽しみにしていた。前夜にプラスワンでのイベントをやって、そのまま朝まで味園ビルを飲み歩き、朝の5時、ビップにドヤにタクシーで乗り付けて朝帰り。お金があるのやかないのやかわからない遊び方をしているわたしたち、いえ、お金はどちらかというと全然ないですが、でもわざわざこんな町のドヤに泊まるというのは完全に趣味。無駄に日当たりがよい窓を飯田さんに借りた段ボールとガムテープでふさいでちょっと寝て、昼12時飯田さんと再び落ち合う。さて、今日は一日、西成で遊び倒すぞよ~!

 ドヤを出て、いい天気、お散歩日和やね~と言いながら、ふたりで山王商店街の方へなんとなく歩く。カラオケ居酒屋、カラオケスナック、この町はカラオケだらけやな~と思う。昨夜、味園のマンティコアというバーで、マスターのリシュウさん(赤犬)から聞いたのやけど、もう10年くらい前に撤去された天王寺動物園の前にあったテント村の青空カラオケ。ここはその名の通り、テントでおっさんたちが元気に朗々とカラオケを歌っているのが名物やって、高校時代はわたしも、おっさんたちは陽気やな~と思ってたのやけど、立ち退かされた後、テントをどけたら下から注射器がいっぱい出てきたらしく、要するにみんなラリって歌ってたってこと!? て盛り上がった。どこまでが事実かはわかりませんが十分ありえる話。この町に暮らす人々はだいたい毎日朝から暇を持て余していて、だから飲み屋は昼間っから元気に営業している。そして夜は8時とかに閉まる。喫茶店は昼間3時とかに閉まる。早寝早起きの町なのもわたしは親しみ深く思ってしまう理由かもしれない。
 山王商店街を抜けると、所謂飛田新地の方へぶつかる。飛田新地というのは言わずと知れた赤線地帯で、15分2万とかそれくらいで本番サービスを受けられるお店がぎっしり犇めいていて、そこだけぽっくりと時代が止まったまま、戦前の遊郭が広がっているように見える。わたしがはじめてこの場所を見たのは15年前で、当時はじめてお付き合いした男性で後に結婚してそして離婚することになる元旦那さんに、「社会勉強や」と言って自転車の後ろに乗せられて、ひと回りさせられた。まだ高校生だったわたしには衝撃的だった。こんな場所が現代の日本の、わたしたちが生活している目と鼻の先で普通に存在しているなんて。一軒ずつ名前が書かれた行灯のような看板が光り、その入口に正座してピンクにライトアップされた女性たちと、その隣にいる呼び込みの客引きのおばちゃん。飛田はその辺の風俗街とは緊張感が違う。完全に、目的のある人しか立ち入ってはならない町である。当たり前やけどひやかし厳禁。だから、「社会勉強や」なんて言ってカップルが自転車ふたり乗りで紛れ込んで良いわけがないのやけど、5歳年上やった元旦那さんはちょっとイキがってそういうことをやりたがる人やった。運が悪いと怖い目にも遭い兼ねないことをしてしまっていたのやけれど、その時は別に特に何もなく無事に帰れた。
 その15年ぶりに、飯田さんと飛田を歩いてみようとなって行ってみた。飛田新地には、若いピチピチの女の子が座っているその名も青春通りと、年老いたおばはんが座っているその名も妖怪通りがあって、あと嘆きの壁という、当時遊女たちが逃げたくてもその壁を越えられなくて逃げられなかったという、これ以上ない切ない名前のついた壁がある。というような情報も、この15年の間に知ったことで当時は何も知らなかった。飯田さんと予めアイホンで調べて、いざ飛田新地へ足を向けてみた。
 飛田には大きく全部で4本の通りがあって、手前から若い順に、青春通り、メイン通り、妖怪通りその1、妖怪通りその2、といった具合になっているらしい。わたしたちが最初に歩いていた場所は実は妖怪通りやったとあとあと知ったのやけど、妖怪というぐらいなのでてっきりわたしたちは相当なおばあさんが座っているものと思っていたのやけど、実際は至って綺麗なおねえさんが座っていた。まあ一応、熟女という範疇に入るのかな、くらい方もお見受けしたけれどでも正直31歳のわたしや飯田さんは、もうこの飛田社会の中ではきっと余裕で妖怪に放り込まれるんではないだろうか、と言い合ったくらい。ほんなら青春通りはどんなもんかというと、それはそれはイケイケのピチピチギャルにしか見えない、キャバクラでも相当な上流で泳いでいられそうな、若くてキラキラした女の子が座っていた。たぶん、飛田は相当格式高い。あのピンクのライトのせいもあるかもしれないけれど、一見してわかるようなブスやデブはたぶん働けないんやと思う。これも結構衝撃やった。
 ひやかしではないと堂々と言えるのかどうかというと、わたしたち女子ふたりはうーん、果たしてどうなのか、この町に対しても、働く側の人にも買う側の人にも切実な気持ちを持っているとはいえ、正直社会見学というポジションになってしまうのは15年前と変わらない。でも女子ふたりで歩いていると、「ねえちゃん仕事探してるんか~」とおばちゃんに声かけられたりした。確かに、この町に女だけで来るということは、仕事を探している以外にないと思うのが当然やろう。
 嘆きの壁にも行ってみた。昔は遊女たちの夜逃げ防止のための隔離塀だったと聞くが、今現在は普通に階段が添えられていて、嘆きの壁沿いの階段を上がると、あちら側には阿倍野ハルカスやらなんやら、数年前に建った商業施設がもうすぐそこ、というような立地だった。現在は壁の痕跡こそ少し残っているものの、何も理由を知らないものにとってはただの壁と階段に過ぎない。 もう一度、妖怪通りから青春通りまでひと回りして、わたしたちは飛田ツアーを終え商店街の方に帰ってきた。小一時間の散歩だったが結構ぐったりしたのはやはり飛田独特の緊張感と、あといけないことをやってるんではないかという不安がやはりずっとどこかにあったせいかもしれない。商店街の方まで来ると、すぐ側にそんな色街が広がっているなんて嘘みたいに、とてものほほんとした雰囲気で普通にスーパーや喫茶店があって、ちょっとひと休みしたくてわたしたちは「純喫茶ロボ」という可愛い名前の喫茶店に入り、飯田さんとふたりで、ミックスジュースを注文して飲んだ。普段はそんなもの飲まないのやけど、なんか元気が出る飲み物を摂取したい気持ちだった。ミックスジュースはたった今ミキサーで作ったような出来立てふわふわでおいしかった。昨夜深夜1時に金龍ラーメンという大阪にしかない、おいしいんやけど毒のような味がするラーメンを食べて胃腸が若干やられていたので、なんか身体が生き返るエナジードリンクな感じがした。
 ミックスジュースで生き返ったわたしたちは、再び歩きはじめ、今度は西側に、萩之茶屋を抜け花園町の方へ来た。この辺は実はわたしのその、自転車ふたり乗りで飛田を走った元旦那さんが当時15年前にひとり暮らしをしていたマンションがあって、そこがまだあるかどうか見に行ってみた。そこは何も変わらずあった。一階のローソンも、何度も通ったなか卯もそのまま。マンションの無駄に小綺麗なふりをしているエントランスもそのままで、うわ~と懐かしくなった。元旦那さんが何度もバイクのタイヤをパンクさせられたり、部品をとられたり、脱糞をされたりしていた駐車場もあった。全部が懐かしくって、でも別にだからって過去に未練は全然湧かなくって、若かったあの頃に戻りたいなあなんてことは全く思わなかった。
 マンションの前の大通りをまっすぐ歩いて徒歩10分くらいで、わたしが通っていた高校にたどり着く。飯田さんを巻き込んで勝手に思い出ツアーをはじめてしまってちょっと申し訳ないけど、ついでなので行ってみたくなった。高校からマンションまでのこの道を、わたしは当時何度もひとりで通っていて、保健室登校で早退した学校帰りにそのまま元旦那さんのマンションへ向かい、お弁当を元旦那さんにあげたりしていた。当時は本当に暗黒なつもりやったけど、今思い返すとなんかそれなりに青春ぽいことをやってるやんって気にならなくもない。学校早退して年上の彼氏の家に入り浸っているなんて。しかし当時のわたしは本当に、青春のキラキラとは程遠い感じの、たいへんダサくて地味な暗い思春期メンヘラーだったので、そして5歳年上だった彼氏も、ライブハウスでアルバイトしているけどなんか濡れそぼった犬みたいな風貌の人だったので、まぶしい青春のただ中にいるなんて到底思えないようなふたりだったと思う。
 母校は微妙な進学校で、でもただ進学率を上げるお勉強に力を入れているだけではなく、輝け個性! なんていう恥ずかしい標語を掲げてしまっては、なんか色々新しいものを取り入れて良い学校を気取ろうと必死になっている感じの学校やった。町田康がそこの卒業生で、ちょうど芥川賞をとったばかりのときやって、わたしは町田康に憧れていたのでその高校に入ったけれど、入ってみると町田康を読んでいるような子はひとりもいなくて、図書館の司書のおばちゃんにも、「わたしには全然面白さがわかりませんでした」とか言われる始末で、あれ、わたし入る高校間違えたかも、なんて思ったときには後の祭りで、気づけばひとりぼっちで保健室のベッドで不貞寝する日々やった。
 そんなことを思い出しながら、ひさしぶりに校舎のまわりを歩く。あれ、こんな変な黄緑の外壁やったっけ。塗りなおしたんであろうか。校舎にはでかでかと垂れ幕が下りていて、ダンス選手権全国3位! とか書いてて微妙に恥ずかしくなった。他人事ですが。そう、我が母校にはダンス専門のおばちゃん先生がいて、この先生が糞暑苦しくてわたしは本当に苦手で、体育の授業の中で強制的にダンスをやらされるのやけど、このダンスが本当に残念なダンスで、エアロビとヒップホップを足したようなダサいとしか言いようがない振付を、エグザイルとかのJ-POPを流してまじめにノリノリに踊らなければいけないのである。なんたる拷問。しかし、同級生たちはいかにもまじめな良い子ちゃんたちばかりなので、みんなちゃんと笑わずにしっかりがんばるのである。その全体が、当時ひねくれ真っ盛りだったわたしには本当に耐え難かった。
 なんていう思い出話を飯田さんに聞いてもらったりしながら、母校のまわりをぐるっと歩いた。ホームレスが多い町なので、当時は普通に校内のベンチでおっさんが寝てたり、水飲み場で水飲んだりしてて、でも昨今はセキュリティとかが厳しくなってて全く部外者は入れないシステムになってるっぽかったので、今はそんな愉快な光景はお目にかかれなそうな雰囲気やった。
 母校の裏門を出るとすぐに、新今宮駅の線路が通る高架下トンネルがあって、このトンネルが本当に衝撃的にいつも臭くって、この町全体が臭いのは臭いのやけど、中でもこのトンネルは最恐の臭さで、みんな息を止めて通っていた記憶なのやけど、ひさしぶりに通るとあんまり臭くなかった。トンネルを抜けるとスーパー玉出の裏口に出てきて、ここの玉出にもよく来た。玉出の激安お惣菜のからあげを教室で食べていた男子たちが急にみんなで腹痛を訴えだしたときは怖かった。なんかもう15年すっかり忘れていた記憶がたくさん蘇る。そしてそれらの思い出をいちいち飯田さんに語ってしまう。
 5月とはいえ気温は30度くらいまで上がっている炎天下、たくさん歩いたので、飯田さんはそろそろビールが飲みたくてたまらないご様子。あいりんの裏あたりをぐるっと回って、「きらく」というホルモン屋に入った。ここのメニューは瓶ビール、ホルモン煮込、ホルモンうどん・そば・中華そば、ごはん、以上! という潔さで、ウーロン茶ありますか? と尋ねると、外の自販機で勝手に買ってきてシステムやった。(足立区の我らがよく行く大衆酒場でも時々あるシステム)飯田さんはビールをおいしそうにぐびっと飲んで煮込をつまんでいる。わたしはホルモンうどんを頼んでみた。ちなみに、煮込120円、麺類1玉300円。(2玉になると50円増)安い。これが西成価格。でも、このホルモンうどんがめっちゃおいしかった。うどんの上に、あたかも自分はお揚げさんかのような顔をして煮込まれたホルモンがぶるぶるっと乗っている。おだしも結構茶色いけど意外と辛すぎなくておいしい。唐辛子はセルフでかけ放題、銀のおわんに並々と乗った唐辛子にスプーンが刺さってて、各テーブルに置かれている。おひる3時くらいやったけど、昼間から飲んでいるおっさんもいるし、ひとりでカウンターでうどんを啜るお兄さんもいて、結構賑わっている。安いしおいしいし。ちなみに、お冷のグラスはワンカップの再利用。我ら好みのいい店である。
 さて、この店から飯田華子と北村早樹子の西成食い倒れツアーが幕開けました。「きらく」を出て、萩之茶屋商店街の方へ歩き、お次のお店は立ち飲み屋「もん屋」。ここはたくましそうなおばちゃんふたりが切り盛りしている立ち飲み屋で、コの字型のカウンターに、大きな器に入ったお惣菜が何個か並んでて、あとは壁にたくさん札のメニューがぶら下がっている。きゅうりとタコのキムチ和え、水なす、アスパラときのこのてんぷら、などを注文し、飯田さんはまたしても瓶ビールをぐびぐび。カウンターの中にはテレビが光っていて、大阪ローカルのワイドショーが垂れ流されている。立ち飲みカウンターのわたしの隣に、SHINGO☆西成に似たお兄さんが一瞬来て、ひとりで飲んでおばちゃんと親し気に話し、サクっと飲んで消えて行ったけど本人やったかどうかは謎。なかなか居心地のいいお店やったけど、冷房がぎんぎんで身体が芯まで冷えたので、じゃそろそろって感じでお店を出た。
 西成は実は結構商店街の町で、縦にも横にも何本も商店街が交差していて、しかし元気のある商店街というのはあんまりなくってだいたいがシャッター街になっている。でもこの「もん屋」がある商店街はたぶんいちばん活気がある商店街で、飲み屋もたくさん、あとゲームセンターがたくさんある。ゲームセンターと言っても、新種のゲーム機がハッピーな音を四六時中鳴らしていて、女子中高生たちがプリクラを撮ったりしているゲームセンターではない。見たところ設置されているのはかなりレトロな機種のゲーム機(下手したらスマートボールの域)で、遊んでいるのはほぼおっさん。というようなゲームセンターが点在している。
 それから喫茶店。わたしはわりと古くさい個人経営の喫茶店が好きなのだけど、この商店街の中でかなり衝撃的なお店を発見した。「喫茶白木屋」という、おなじ名前のチェーンの居酒屋があるけれど確実に無関係な、いい具合にくすんだ喫茶店。の、表に立っている本来はメニューのサンプルなんかを並べるんであろうショーケース。殆どすっからかんなのやけど、ほんのいくつか宝石や時計が並んでいる。ん? なんで? と思ってよく見ると、「質白木屋」という看板も出ているのである。そう、喫茶店と質屋の兼業。なーんて斬新な発想。しかし、西成のこんな場所で質屋をやっても質に入れるもんを持っている人自体が少な目であろう町、そら質草も集まらんわな~。ショーケースにひっそり収容されている宝石や時計たちも、ほんと申し訳なさそうに並んでいた。
 そんなお店ばかりが並ぶ、それでもここいらでは随一の活気がある商店街。お次はどこで飲もうかねえ、と歩き、アーケードの途切れ目で空が見えるスポットにあった「串焼二郎」という屋台のお店に座った。時刻は夕方。陽も傾いてきて、涼しい風が吹き抜ける外飲みが気持ちよい季節。串焼二郎という刺繍が入った紺色の法被を着たおっさんがふたり。ひとりは、目が開いてるのか閉じてるのかわからないくらい細い可愛いおじいちゃん、恐らくこれが二郎さん。もうひとりはバイトなのか、あんまりお店の勝手がわかっていなさそうな、昔はきっとさぞかしモテたんやろうなあという彫の深い顔立ちの50代くらいのハンサムおっさん。たぶんこんな西成の屋台に女ふたりが座ること自体がレアなんであろう。わたしたちふたりが座ると、おっさんふたりともがぺったり密着型の接客体制に入ってくださった。飯田さん、またしても瓶ビール。(下戸のわたしはいつでもウーロン茶)寒かったので、おでんって文字がおいしそうに映り、何種か頼もうとしたけど、だいたい品切れ。唯一大根はあるそうなので、それお願いしますと言ったところ、そもそもおでんの鍋に火が入ってなかった模様で、お皿によそってチンして出してくれた。でもそこそこ味は染みてておいしかった。それからどて焼きを注文。これもわたしたちが注文してはじめて、鍋に火がついた感じだったのやけど、しっかりこってりした、あーこれぞどて焼きという味でおいしかった。
 どて焼きって、東京ではほぼお見受けしない食べ物やけど、牛筋とこんにゃくを白みそで甘辛く煮詰めた、オトナも子どもも大好きな味。もちろんわたしも大好き。それから飯田さんはせっかくなので串焼もって感じで、珍しそうな砂ずりを注文。砂ずりって部位も、たぶん関東圏ではあんまり食されてないのかな、わたしは耳にしたことはあるけど食べたことはない、けどあまり食べようとは思わない。二郎さんに、砂ずりってなんですか? 砂肝ですか? と聞く飯田さん。いや、砂肝ちゃうよ、砂ずりや、としか言わない二郎さん。わたしは砂肝自体もあんまりわからないから、違いもわからんけど、この会話が微妙に噛み合わないけど別に許せちゃう感じも、大阪やなあと思う。
 ところで二郎さんは、目の前で煙を出して一生懸命砂ずりを焼きながら、定期的に、あかんわ~またや、と独り言のように小声で発して店の斜め上の天井のあたりを見に行く。それも、わたしたちに、ねえちゃんどこから来たんや? とかフランクにおしゃべりしながら唐突にいきなり真顔になって天井を見に行く、というくだりを何度も何度もやるもんやから、なんかこれコントなんか、それとも二郎さんそうゆう病気なんかと思ったけど、ずっと二郎さんを観察していると、どうやらちょうちんの明かりを刺しているコンセントが天井にすごく不安定に設置されてて、それがすぐ抜ける→明かりが消える→二郎さん真顔になる→あかん、またや→天井見に行く、という流れが繰り返されていた模様。しかし、無事に明かりが灯ったところで残念ながらわたしたちお客には気づかれない程度のすっごく控えめなほんのりとした明かり。正直、点いてても消えてても大して変わらない。でもそれをこんなに気にする二郎さん可愛い。
 一通り料理を出し終えると、二郎さんも旧ハンサムおっさんも普通に生ビールを隣のテーブルで飲みだした。どうやら飲みながら営業するスタンスらしい。年齢とか職業とかひと通りのことを聞かれ、まあ適当に答える。このお店は屋台なのでトイレがなくって、飯田さんがトイレを聞くと、旧ハンサムおっさんが数軒隣のカラオケスナックみたいな店に連れてってくれて、そこで借りるシステムらしい。トイレから帰ってきた飯田さんが、ちょっとやばかった~と笑いながら帰ってきたのでこそっと話をきくと、トイレまでの数十秒間に旧ハンサムおっさんに口説かれたらしい。二郎さんの見えないところで、旧ハンサムおっさん、なかなかやりよる! 二郎さんは隣のテーブルでビール飲みながらずっとニコニコとこちらを見て微笑んでいる。可愛い。だってもうたぶん70代? かな? 口元のシルエットが間違いなく入れ歯やし。きゅん。
 そこへ、お客がひとり、上下柄モノのスエットでキメて、足元はスリッパ、腕時計は金、タバコを挟む左手の小指が綺麗に欠損している完全にあちらの世界のお方がいらっしゃる。ぱっと見は我らと同い年ぐらいに見える、結構男前のシュッとしたボクサーぽい体型&鋭い眼光のお兄さん。二郎さんと仲良しみたいやったので常連らしい。そうか、こういう方々が普段はいらっしゃる感じのお店なのや。このお兄さん、見た目は怖いけど我らにもやさしく喋ってくれて、しかももう48歳やとのこと! 見えない! わたしたちがこちらのお兄さんとしゃべっていると、わたしはほのかな違和感のある視線を感じ、はっと顔を上げると、恨めしそうな目でこちらを、というか飯田さんを無言で見ている旧ハンサムおっさんを発見。そう、これぞ男の嫉妬の眼差し。わたしはなんだかほっこりしてしまった。
 だんだん夜風が出てきてわたしは完全に夏の服装で出てきてしまったので肌寒く、一旦ドヤの部屋にカーディガン取りに帰ることに。道中、超安価なお惣菜屋さんがあって、夕飯時やからかおっさんたちが群がっていた。ちらっと覗いてみると、おかずの他に、白ごはん、おかゆ、雑炊、とあって、歯のないおっさんたちにもちゃんとやさしいお惣菜屋さんやなあ、なんて思いながら、カーディガンを羽織り、そしてそれからまた再び、西成の夜の町に繰り出した。

 後編へ続く

(2016年5月/初出:北村早樹子メルマガ「そんなに不幸が嫌かよ!」)
「よりぬきエッセイ」一覧へ戻る
北村早樹子への執筆ご依頼・ご感想は warabisco15@yahoo.co.jp までお送りください。※まじでお仕事ください!(切実)
© kitamurasakiko 2017.